Posted by ダヤン

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by ダヤン   0 comments   0 trackback

梅雨入り。

私にはなにがあるんだろう?
そんなことをまた、考え始めてしまってる。
生きてくのにも不器用で、自己表現もままならなくて、それでもうすぐ私も40代の仲間に入ろうとしてるなんて、一体全体どういうことだろうって、考えてそれで、こんな、迷子みたいに敗北感に苛まれてる。

そして、それを誰も知らない。

ぎこちなく笑って、ぎこちなく応答して、こんなんで、前進とかできるはずないって、本当は私、解かってる。
泣かせて、欲しいのかもしれない、私。

頑張って、前を向こうって。
強くなろうって、強くなきゃ、優しさも解からないで空虚に苛まれるから。
だから、私、強くなろうって、笑って、耐えて、呑み込んで、大きくはなったけど、大きくなった分、匙加減も計れなくなってる。
そうして気づいたら、泣くことを、忘れてた。
ひとりでなくことも、出来なくなってた。

スポンサーサイト
Posted by ダヤン   2 comments   0 trackback

不調。

知らず知らず…なのか…違う。
本当は、気づきかけた時もあった。
ただ、目まぐるしく過ぎる中に、立ち止まる行為をしなかった私の落ち度。

自分の色が解からなくなってしまった。

いつでもon状態でいて、裏腹にoff状態でいるような。
そんな感覚で。
ついに、自分の色が?カタチが?自己表現が…解からなくなってしまって。
まるで迷子のよう。
ちょっとそんなんで立ち止まってしまったら、調子悪いって、自覚してしまった。
苦手な分野に挑むなんてこと、やっぱり困難なの?

心の奥はいつだってヒトリなはず。
その一人の中に、誰かがいてくれれば、本当には強くなれるって、そんなイメージはあくまでもイメージなだけ?
守りたいものがあれば、人は我慢もできるし、守ることに徹してこそ闘うことも出来るはず。
そういうのが上手くいかない時って、もしかして、本当は闘うことを知らないからなのかもしれないって、この歳になって考えて。
例えば、人を特別に一人大切に想って、どんなことも事実の奥の真実を信じるような深さで、それで表面化の事実を赦し続けて、受け入れ続けて、自分のキャパに合わなくならない訳もない。
そんなことも、今更のこの年齢で考える。

ふと思った。
どうしてちゃんと傷つくくらいの恋愛を大切にしてこなかったんだろうって。
こんなこと、それこそ今更、誰にも言えない。
近頃、本当に感じてるのは、底知れない敗北感。
負けるが勝ちなんて、なんだかんだ強がってきたようなこれまで。

昨夜、久々の同級生四人で顔を合わせて、来る夏の同窓会の打ち合わせなんて。
中学時代の同級生…とっても仲良かったとかじゃないのに、不思議と節々で蔭ながら支えてくれた気ごころ知れた彼らは、本当に何年振り?で集まったのに、なんでこんなに自然にいれるんだろうって思う。
お互いに毒なのかって言うくらい痛烈な言葉を投げ合うのに、それでも優しさがそこにあって。
ぁあ、いつの間にこんなに大人になったんだろって。
有難くもなる。

ちょっと、この不調の原因が判った気がした。

空廻るほどに、頑なに、張り過ぎた。

反省しよう。

時間はあるはず。

ちゃんと、私が呼吸をしよう。

Posted by ダヤン   0 comments   0 trackback

Please be together throughout my life.

今月も些細な行き違いからの静かな、だけど傷大きいケンカ。
仲直りも、出来たはずなのに、どこかシコリを残してる感じ。残しながらも、なにかにひたむきな感覚が伝ってくる。
要はお互いの20年で構築した価値観の違いの汲み取り方...そんな気がする。
ふたりには珍しくもう2週間、まともに会ってない。それでも5月。約束通り、今月から私の休日限定でお弁当配達は始める。
お互いがお互いにかなり特別に想ってもらってるって認識を持ちながらも傷つけ合って、それでもお互いにはお互いしかいないって認めあって、なのになのかだから、なのか、シコリはモヤのように視界を曇らせる。
自分の中の悲観的感情を突破らって、大雨からの大風が止んだ後のように、澄んだ心で見つめ直す。
根を張ったシコリは唯でさえ慎重な私に「万が一そうだとしても、それでもいいのか?」と不安を突き付けてくる。
考えるまでもない。
感じてるよ。
他人を想うのはこんなにも難しい。
精一杯になればなるほど、もつれ絡まる感情の渦に自分自身の真意を模索させられる。
先月、突然に連れて行かれた20年振りの彼の実家。変わらない家具やその色、配置に、お母さんの微笑みと、お母さんの彼への心配...思わず涙が一瞬にして溢れた。
初めましてのお父さんまで同席で、ご両親ともが子どもたちも連れて、うちで一緒に暮らさないかと言ってくれた。
「ダヤン、ばあちゃんに線香上げて欲しい。」そう言って仏壇へふたり。
うっかりまた泣きそうになりかけた彼は「車からタバコ取って来る」って、席を外した。
私のこと、私の実家の環境のことを訊いてくるお父さんの言葉はストレートで、私もストレートに返す。
お母さんは半ベソの微笑みで「そう言えばホント。昔もなんだかこんなことあったね。」って彼に「覚えてないくせに」なんて切り替えされたけど。
帰り際「この子を支えてあげてね。」と、真っ直ぐに私を見て柔らかく言ったお母さんの言葉はもう、約束で。大きくうなづいて「精一杯」と答えた私は、生涯忘れはしないだろうと漠然と思う。
先のことなんて分からない。ただ、彼の本当に大切に想っている人たちへ繋がれた時間を、私は彼の誠意だと思う。
そういう未来を、今から創っていけばいいと思う。そのための今、準備中なんだと漠然と思う。
Posted by ダヤン   0 comments   0 trackback

If.

年が明けて、もう初めの一月が閉じようとしてる。
今日は、あの人の誕生日だって気づいたのは、出勤簿に判を押す時だった。
こんな気づきかたをしたのは、今年が初めてだった。
ふっ切って踏み出した一歩は、本物の一歩だったのかもしれないって、気づいて固まった出勤簿への視線のまま思った。
踏み出した私を待っていたのは、20年もさかのぼってしまって、ついでに当時の恋人まで現れて、それでなくてもあの頃を思い出さずにはいられない環境が揃い始めていたのに、まさかの再会から、あの頃よりずっといい距離感で当時を知るお互いらしく今の環境に自然になじみ始めてる今が不思議。
昔話をするたびに思い違いとすれ違いを感じずにはいられなくて、当時のお互いの幼さも今になってみれば歯がゆいことで。
「正に青春のいっちゃん綺麗なとこ!!」なんていう彼に、当時は不安要素でしかなかった変わらない優しさを感じる。
常に受け身で、そのくせ好き嫌いのハッキリしすぎてる私なんて、取扱困難極まりなかったはずなのに、いつも真っ直ぐに、なんの躊躇いもなく私の前後左右を行き来して、それでもブロックできない時はどうしようもない嫉妬を周囲に散乱させて……ぁあ、そこが問題だったんだ(笑)
二人でそんなことを思い出しながら話してたら、間に挟まれた後輩くんが「羨ましい…」なんて、真顔でいうからまた、二人で大笑いした。
もしもあの頃彼の言う「全部受けとめろ!!」を、適えることのできる私だったなら、彼はきっと彼自身の言うような彼になっていただろうと思う。
「お前がずっと傍にいれくれれば、お前とやったら俺はもっと頑張れた!」
本気でぶつけられたら、流石に胸も痛むでしょう。
黙り込んだ私に「承認」としておかれた後輩は「今からで丁度よくないっすか?」ともっともなことを提案。
二人して黙り込んだ果て「ダヤンさんならきっと叶えてくれますよ」なんていうから。
逆に二人で戸惑った。
特別な人だった。
同級生で付き合ったのも、後も先も彼だけで。
前にも後にも、彼ほど私を最優先してしまう人もいなかった。
なんだか、人生って皮肉なこともあるんだって、珍しく胸がキュンとした。
二人でいると「もしも…」ばかりだ。
実態のないものばかりだ。
何を望むともなく、ただ、旧友と週末に酔い潰れるようなそんな空気感の中で、今の互いの共通の先輩や後輩、友人に囲まれてとめどない昔話を開かせて今を頑張ろうって肩をたたき合うような、そんな。
客観的に視ると、なんだかすごくいいもののような気もする。
どうなんだろう?
解からないけど。
20年も途切れて思い違いをし合っていたものが、そう簡単に直結するとは思い難い。
それでも互いに変わらずにきた部分を信頼しあえたら、それはそれで無二のカタチだと思う。
今はただ二人、昔話の甘酸っぱさに酔ってるだけなんだろう。
それでも、私の踏み出した一歩は流れを作り始めていて、その流れさえもがことごとく今、彼に結びつく。
この現実の不思議さは一体何なんだろう……。
Posted by ダヤン   0 comments   0 trackback

If.

年が明けて、もう初めの一月が閉じようとしてる。
今日は、あの人の誕生日だって気づいたのは、出勤簿に判を押す時だった。
こんな気づきかたをしたのは、今年が初めてだった。
ふっ切って踏み出した一歩は、本物の一歩だったのかもしれないって、気づいて固まった出勤簿への視線のまま思った。

踏み出した私を待っていたのは、20年もさかのぼってしまって、ついでに当時の恋人まで現れて、それでなくてもあの頃を思い出さずにはいられない環境が揃い始めていたのに、まさかの再会から、あの頃よりずっといい距離感で当時を知るお互いらしく今の環境に自然になじみ始めてる今が不思議。

昔話をするたびに思い違いとすれ違いを感じずにはいられなくて、当時のお互いの幼さも今になってみれば歯がゆいことで。
「正に青春のいっちゃん綺麗なとこ!!」なんていう彼に、当時は不安要素でしかなかった変わらない優しさを感じる。
常に受け身で、そのくせ好き嫌いのハッキリしすぎてる私なんて、取扱困難極まりなかったはずなのに、いつも真っ直ぐに、なんの躊躇いもなく私の前後左右を行き来して、それでもブロックできない時はどうしようもない嫉妬を周囲に散乱させて……ぁあ、そこが問題だったんだ(笑)
二人でそんなことを思い出しながら話してたら、間に挟まれた後輩くんが「羨ましい…」なんて、真顔でいうからまた、二人で大笑いした。

もしもあの頃彼の言う「全部受けとめろ!!」を、適えることのできる私だったなら、彼はきっと彼自身の言うような彼になっていただろうと思う。
「お前がずっと傍にいれくれれば、お前とやったら俺はもっと頑張れた!」
本気でぶつけられたら、流石に胸も痛むでしょう。
黙り込んだ私に「承認」としておかれた後輩は「今からで丁度よくないっすか?」ともっともなことを提案。
二人して黙り込んだ果て「ダヤンさんならきっと叶えてくれますよ」なんていうから。
逆に二人で戸惑った。

特別な人だった。
同級生で付き合ったのも、後も先も彼だけで。
前にも後にも、彼ほど私を最優先してしまう人もいなかった。

なんだか、人生って皮肉なこともあるんだって、珍しく胸がキュンとした。
二人でいると「もしも…」ばかりだ。
実態のないものばかりだ。
何を望むともなく、ただ、旧友と週末に酔い潰れるようなそんな空気感の中で、今の互いの共通の先輩や後輩、友人に囲まれてとめどない昔話を開かせて今を頑張ろうって肩をたたき合うような、そんな。

客観的に視ると、なんだかすごくいいもののような気もする。

どうなんだろう?
解からないけど。
20年も途切れて思い違いをし合っていたものが、そう簡単に直結するとは思い難い。
それでも互いに変わらずにきた部分を信頼しあえたら、それはそれで無二のカタチだと思う。

今はただ二人、昔話の甘酸っぱさに酔ってるだけなんだろう。
それでも、私の踏み出した一歩は流れを作り始めていて、その流れさえもがことごとく今、彼に結びつく。
この現実の不思議さは一体何なんだろう……。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。