Posted by ダヤン

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想い。

                                               

2・3カ月の間に、凝縮された沢山のことがおこり続けると、対応するために要点だけを拾うのが精一杯になる。
そんな自分に気付いたことは、悪いことじゃない。
それでも、そんな要点さえも、若干取りこぼし気味で…。
本気でまだまだだと、自分に腹が立つこともしばしば…。

仕方ない…頑張ろう、私(笑)

無駄に凹まなくなってきただけは、自分に認めてあげようと思ったこの頃です。

4月、長男坊が高校生になって、次男坊が六年生になって、三男坊は五年生。
あくせくしてるのは自分だけじゃなくて、当人たちはもっと沢山の新しいことにあくせく必死で、それでも頑張ってる兄弟の姿にホッコリしながら、ありがたい気持ちにもなりながら、じゃあ私はどうあるべきだろう?とかをその都度にやってると、自ずと、兄妹がいう「お母さんは違う」のニュアンスが解かってきた。

高校入学のクラス編成で、特進クラスを断固として拒ませた私は、本当には長男坊の出鼻をくじかせたんじゃないかと後悔しかけていたけど、五月中旬に廻らなさと疲れでイライラを募らせていた長男坊の姿と中間考査の結果を照らした時、「頑張り過ぎる」と彼に予想したことが間違いではなかったと少しホッとして。

勇んで特進クラスを希望した友人が既に諦めモードに入ってしまったと話す彼自身に「言うこと聞いといて良かった」と言ってもらえたとき、心底ホッとしました。

担任が最悪だと、クラスみんなでボヤキ嘆いている次男坊たちは早々に、修学旅行を発端に親子vs担任みたいな空気感になってしまって、私自身も、次男坊の心の砕けた様を目の当たりにした時、担任の言葉や態度に憎さにも似た嫌悪を抱いてしまったのは事実で。
そこを信頼おける校長先生にすっぽり包まれ治したことで落ち着いた次男坊にホッとして、嫌悪を抑えるには至ったのだけれど。
決して油断はしちゃいけないって、拭えない不信感を抱いたまま。

つくづく、子どもを「悪者」に仕立てるのは大人なんだと噛みしめたような心地です。

けれど、そんな大人も。
子どもだったころに何かしらの大人からの影響を受けてるはずで。
誰のことも「悪者」に仕立てる必要なんてない。
もっと上手く表現できる私でありたい。
もっと上手く、理解できる私で、ありたい。
それが「大人」の姿だと思う最近。

躓きたくはないけれど、躓くことそのものは、多分、悪いことじゃない。
自分の心にある「大切」を、自分自身が「大切」にできなきゃ、価値が無い。



そんな風に、過しているよ。




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泪雨。

弥生の月、始まりの日にはしとやかな雨。
祖父と父の法要、お墓参りの時にはタイミングよく雨も止み、寒いながらも集まってくれたみんなに不具合が多くなく運んで良かったと、一安心でした。



満開の寒桜を見つけたのは、毎年見てきた枝ではなくて。
道沿いの手入れのされていない空家の庭でした。
なんにも変ってなんかないつもりの自分、それでも気づけないことが増えてたんだということに気付く瞬間に、なんかちょっと、しょげてしまう。

三月に入って、高校の卒業を皮切りに専門学校、中学校、小学校に大学に…。
あの子、この子の進路を耳にする。
親元を離れて進学する子、そうして進学した後に、就職が決まって卒業する子。
親子の数だけ、いろんな形の進路。

なんとも表現しにくい何かがこみ上げて、聴く話の一つひとつに、一々、泣きそうになる。
度に「もう、自分の子じゃないとに~」とか言われながら、一緒にウルウルしてたり。

やっぱり、一緒に頑張る親子って、いいなって、温かいなって。
そういう親子関係に関わると、もう、本当に泣きそうになるとかじゃすまなくて。
実はひっそり一人で泣いてたり…。

我が家の長男坊は、まだあと三年は地元にいるから。
そんなにまでこみ上げるものはないのだけれど。
それでも。
私の知らない時間中の葛藤も沢山あっただろう、辛い思いもしただろうと思う。
三年間しかない中学生活を、一年で転校させてしまって、尚更に。
そうじゃない子では感じることのなかったものも、沢山に感じてきただろう。

「子どもから、悪いものを全て取り去ってしまってはいけないよ。
 悪いモノから学ぶことも大切だから。
 行く先に、何一つ難のない道なんてつまらないよ。
 転んで、躓いて、芽生えるものもあるのだから。

 大切なのは、現在のその子から目を背けないこと。
 大切なのは、転んだ時、躓いた時ちゃんと「次は大丈夫」って、支えてあげることかもしれないね。」

心配するのは悪いことじゃない。
けれど、大丈夫と信じてあげることは何よりも大切だと思うんだ。

手を抜くとかじゃ、なくて。

そして、親という自分自身も等身大であること。


                                                


プリムラの花言葉はね、永続きする愛情っていうんだって。
運命を開くとも、いうんだって。

だから、今月の壁紙はプリムラ ジュリアンです。
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個々、各々。

「分かんないことだらけで、子育てって大変なもんやね~ww」

今年、初めての新米ママになって二ヶ月の、友人の妹。
とっても真面目にマザースクールも欠かさず出席で、新生児のお世話完全マニュアルみたいな資料ブックが作られてる。
「ダヤンちゃんは男の子三人もどうやって育てた??」

私なんてのは子どもに育ててもらってるような、なんというか、立派なもんじゃなくて。
三人とも夜泣きで困ったりしたこともなくて、新生児のうちなんてホントに、コレが大変だった!って思うものが振り返ってみて…無い。
それよりも、一歳前後からのほうが沢山悩んだり心配したり…繰り返したなぁ…。

「私じゃ参考にならんわねww」


マザースクールのマニュアルなんかも、ホントは私自身が大嫌いで。
マニュアルで命が育つなんて、なんとなく薄ら寒くてw
万人が同じ環境じゃないからなおさら。
なんか、納得できなくて。

一歳近づいて、次男ったらマトモに喋れない…
二歳になっても、次男ったら単語しか言わない…
それに平行して、三男ったらアトピー性皮膚炎だって…ジュクジュクで髪までギトギトなんだ…
そんな二人に構ってばっかで、長男ったら諦めて寂しそうに自分でなんでも頑張って…我慢しすぎてる…

あの頃が一番、きつかった。
それぞれに必要だろうってことが判ってるのに、要は私が足りないからだって、検討はついてるのに、その足りないを埋めれなくて。

ついに、保健師さんが自宅まで来ちゃったもんねw
「独りで頑張り過ぎちゃダメ」って、半日も時間費やして、私が楽になるようにって手を差し伸べてくれたもんねw

それでも、マニュアルなんかは嫌いで。
もっと上手く応えていけるはずって、そのことばっかに必死だったから、今になって、大変だった~って気持ちが無い。
むしろ、その時々に、私じゃなくて、私の代わりとかじゃなくて、私だからできないことを探して支えてくれた人たちがいてくれたこと、長男を、二男を、三男を、叱ったり褒めたり、抱いてくれたり、単純に声をかけてくれたりした人たちがいてくれたことが、本当には一番大きな支えだなって、そんなことくらいしか、私には言えませんねww

今度の夏15歳になる長男、自他共に認める優柔不断だけれど、どこに行っても、どんな人に関わっても「お行儀のいい優しいお兄ちゃん」って可愛がってもらって、そろそろ進路も真面目に定めていかなきゃいけないって春に「普通高いって、専門学校行って、地元で公務員になる」って、一番チンプンカンプンで苦手な教科を自分で「基礎からやり直して追いつく!」と、胸張って言えるようになりました。

ついに小学5年生になった二男、「なんでも自分から率先してやってくれる、心の綺麗で素直な子ね~」と、誰もに頼られはじめ、それで俄然頑張れるようになって、出来ないことだらけ!ってお墨付きをもらってたのが嘘みたいに、逞しく育ちはじめてます。

いつでも自分が正しくないと納得できない三男、性格は厄介だけど、持ち前のカッコつけが功を奏して「ひょうきんで賢い子」と言ってもらえます。
近頃は女性に対して妙にモジモジとオマセな一面が大きくでてきてますがww
反面、肌トラブルはほとんど平均値。

三人がそれぞれに、性格も得意分野も違うけど、だからこそ、兄弟の間でしか見えない面が整い始めたことに、四人で考えて四人で悩んで、本当にはそれぞれがそれぞれを想って、それぞれの尺度で出した変化という選択だったけど、これは悪いことなんかじゃなかったって、今だけじゃなくて、この先々でも振り返って見つめ直していった方がいいことのように思います。

マニュアルは平均的な家庭の平均的な環境での鉄則で、万人に通用するものじゃないし、それに適えるのが正しい選択とは言い切れないって、どうしてもそこに行きつくから。
親子で、家族で、その都度に図ってアレンジしていいはず。

要するに、私に育児論なんてのは語れないwww
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やぶへび。

なんだか色々なのはもう、習慣。

気忙しい…そんなんも、習慣。

引っかかる。
躓くような引っかかり。
匙加減計りながら、それでも、嫌気さえ感じる。


目にとまる。


染まり始めの感覚を受ける。


飽くまでも「私は好きじゃないし、私はそうじゃないと思う。」
ワタシハという、前振り。

自由な時間の全てが友人との延長タイム?
それはそれで認めてあげたとしても、そうじゃない、従うべきじゃない価値観って、君にもあるだろう?
少なくとも、サバゲーって…モデルガン持ってって、所詮、ゴッコかもしれないけど、綺麗な日本語って、君らの知ってる以上に沢山あるし、例えおもちゃでも、銃を握って人を追いかけるなんて、ついてくる醜い言葉の羅列って、大嫌いだ。

「子ども同士の遊びやし(笑)」

そんな言葉で笑う大人も大嫌いだ。

もっと見るべきもの、感じるべきもの、知るべきもの、現実に、君らの身の丈にさえも、沢山あるんだから。
それでも持て余す時間の中に何を選ぶかは、確かに自由かもしれないね。
そんな時、本当に君らは自分自身の意志で、自分自身の価値観で、同じような傷つけあうデモンストレーションを遊びとして選ぶんだろうか?

だとしたら、それは、本当の意味で「闘う」ということの偉大さを示してやれない私の弱さのせいかもしれないね。

大人なんて、子どもが見えなくなっちゃ子ども以下だね。
そんな遊びを好んでする君らを、そういう価値観になんの躊躇いも抱かない大人を、買い与える大人を、私は好きになれない。



少子化対策と名打って、子育て支援と名うって、冊子アンケートの以来。
その中の選択肢「若い世代へ子育ての楽しみや素晴らしさを行政はもっと教えて行くべきである?」ってw
ねぇ、その若い世代を赤ん坊から育ててきた大人は、今の社会を担ってる、この国を担ってる大人一人ひとりではないのでしょうか?
そんなアンケート回収に躍起になるまえに、それぞれの意識の鈍さ、見つめ直すが先手じゃないかとボンヤリ思いました。

ダヤン~1


さて、いつのまにか周りの誰よりも長い髪になってしまったダヤン。
そろそろスッキリするためにも、切っちゃいますか!と、思うこの頃です。
ゆとりの作り方も相変わらずヘタクソで、なんだって上手くいかないのは自己責任だよwとかも思いながら。
久々に血圧下がり過ぎた週末、がっつり睡眠に費やした次第ですw

気まぐれ更新のブログに、いつもお付き合いくださるみなさま、ありがとうございます。
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発達障害。

なんとなく感覚で判ることって、ありませんか?



二男坊に至っては、本当に。
二歳くらいからずっと、何かにつけ不安が付きまとってきました。
春休みにその一つだったものを改善できて、もう一つ感じていたものの審議にかかっていましたが。
このほど、その審議が明らかにされまして。

一部の発達障害が認められました。
誰も疑わなかった程度の軽度なものなのですが。

本当に、この子は軽くてで、いろんなことを経験させてくれる子だなぁ…と。

「専門でもないのに、よく自分で気づけたね」「疑ったね」って、周りの保護者仲間に言われます。

逆に「うちの子もそうじゃないかな?もうどうしようもないよ~」って人もいるけれど。

問題はそこじゃないですよね。
疑わしきを明確にしたくなる、そんな法の裁判より厳しい嫌な審議にかけるのは、あくまでも目的のためで。
目的は、私ってすごいでしょ!じゃなくて、あくまでも、二男坊が自分で生き抜くに不自由な心になってしまわないためで。

「学力のうんぬん」じゃない。

それで、今回はっきりして、そのための支援策もとっていただける運びになって、私自身も、これまで以上にあらゆる面で理解していきたいから、益々勉強していかなきゃなって。
成すべきことの一つが、子どもに関して明確になったという、喜ばしい兆しです。

動かなきゃ、何も始まらない。
始まらなきゃ、何も、解決なんかしやしないじゃない。

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