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折返し。

2015年も残すところ1日。
この12月、20年振りの再会続きだった。
クリスマス前くらいから急展開、なかなか縁のなかった職種に思いもよらないところから紹介をいただいて、0からのつもりで一歩踏み出したのをきっかけにバタバタとあらゆることの折り返し。

取り戻せるなんて、虫のいい話、ある訳ないって解かってて。
それでも妥協しかけてた面を「そうじゃない」って、断ち切るには絶妙なタイミングだったと今思う。
10年ひと昔とするなら、もうふた昔も前の事。
それでも、二人で話せば昨日のことのように次々に思い出されて、その当時埋まらなかったピースさえ埋まってく。

「どうして捨てた?」の言葉はこの20年、本当に彼が理解納得出来ずにきたことで、そう問われることも、20年前の友人たちのその後の話から想定できてた。
ちゃんと話しあって、それで二人で決めたことだったけど、微塵も、嫌悪するとこなく別れたのは事実で。
再スタートなんてこと、ないけど。
お互いに、これで何だかホントに、踏み出せるねって、笑ったのは、もしかして、また、理屈っぽい私に歩み寄ってくれた彼の優しさだっただろうか…なんて、少しだけ思う。

年末休みに入って、昔馴染みの先輩が帰省した。
「ただいま」のLINEはあまりに唐突で、「ホントにそこに帰ってきた?」と問うのは自然といえば自然でしょう?
帰省してくれたら、徒歩5分のご近所さん。
せっかく帰ってきたのに、この休みは私や子どもらに付き合ってくれるらしい。

「初詣とかもう何年もしてないけん、一緒におみくじでも引くかねぇ~。」
子どもらに話せば「二人で行けば?」

そこ、気を遣うとこではないですが?

終わりよければ…そんな年だったような気がしてる。
この1年、どうしてこんなにも強行したんだろう?とも、思う。
思うけど、勿論、この先に対しての何の安心材料もないけど、それでも、昔のことも含めて「もっと自信持っていい!」って、どの世代の友人たちにも言ってもらえる私は、幸せ者なんだと、やっぱり思う。
だからこそ、あの人との出会いをキッカケに自分を取り戻し始めた私は、私の納得できる私で在り続けたいと思う。


強いて言えば、恋愛事だけはどうにも不向きで不得意で、センサーが作動しない。
その部分の幸せは、もしかしたら、無縁なのかもしれない…。
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憤り。

私が小学6年生の夏休み目前のことだったと、夏休みには初めて、一人で従弟たちのいる春日へ行っていいよって言われて、かなりワクワクしてたから覚えてる。

もうすぐ夏休み!そんな朝日の煌めく日曜の時間。
ばあちゃんが、いつになく血相変えて、私を叱る時とは違う口調でまくしたてながら本家にやってきた。

いつもは両親とあまり仲のいい方ではない間柄で、隠居と本家を往来するのは私くらいのものだった。
だから、ばあちゃんが本家へやってきたこと自体珍しくて。
少し離れたところから、徒ならぬ空気だけを感じてた。
間もなく、救急車が隠居へ着いて。

そこからほとんど覚えてない空白の時間。

じいちゃんが、脳梗塞で倒れた。
だから、救急車で搬送されて、入院。
けれど、リハビリを始めてもいいって言われても、たどたどしい口調で荒々しく音を出すばかりだと。

病院へ、会いに行くこともさせてはもらえなかった。

夏の終わり。
じいちゃんが隠居へ帰ってきた。
久しぶりに会うじいちゃんは、左半分が硬くなってた。
杖をついてた。
時々、苛立ってた。
いくつも、いくつも、庭先へ湯呑を投げて、いくつも、お茶がはじけ飛ぶように、湯呑の破片は飛び散った。
ばあちゃんは、悲しい顔して拾ってた。

秋になるころ、じいちゃんは一つ歳を重ねて、苛立つことが少なくなった。
それから、ばあちゃんが白血病だと診断されるまで、二人は一緒に、それまで適うことのなかった時間を重ねた。

ばあちゃんは、早すぎた。
私がそうと教えてもらってから、ほんの三月ほどだった。
じいちゃんと一緒に、やっと連れていってもらえた、ばあちゃんの病室は、個室で、狭くて、暗くて、さみしくて、とっても嫌な空気と色だった。
細く、小さく、薄くなったばあちゃんは、私のこともじいちゃんのことさえ、判ってなんていないみたいだった。
ふと横を見ると、一緒だったはずのじいちゃんがいなくなってて、ばあちゃんもばあちゃんじゃないみたいだったから、私はじいちゃんを探しに行った。
じいちゃんは、外階段の中段付近で杖にしがみついて、息を殺して泣いていた。
私は、両親を嫌いだと思った。

高校一年の期末テスト初日の昼、ばあちゃんはこの世から存在を無くした。
お別れの最後の瞬間、ばあちゃんは私の頭の中でおしゃべりした。
「ダヤン、ばあちゃんはこんなになっちゃった」

私より8つ違いの、父の妹である叔母は、ばあちゃんの最後10日ほど、眠るに眠れず、ずっと、あの嫌な空気と色の病室にいた。
ばあちゃんとのお別れの時も、必死で凛としてた。

初七日も、四十九日も、叔母であり姉であるその人は、何故か母に嫌味ばかり言われる。
私は、両親を理解できないと思った。
ばあちゃんをなくして、抜け殻のようになってしまったじいちゃんは、ボーっとしてばかりだった。
ばあちゃんの医療費のために、金銭的に無理をしてしまってた姉さんは、休む間もなく、働けるだけ働いた。
だから、ほんの少しだけ、法要の時間に遅れてしまった。

「あんたの母親の供養やろう?!なんで私にさせるん?!」
職場の制服のまま駆けつけた姉さんに、いきなりそう怒鳴った母に、私は嫌悪を露わにした。
「じいちゃんの奥さんたい!私のばあちゃんたい!!ネエのお母さんたい!!わざと遅れる訳なかやろ!!」
姉さんは驚いた面持ちで、一瞬だけ私を見て俯いた。
母も驚いた面持ちで、周りにいる親類を見渡した。






そんな時間を修復したいと、望んでくれるなら、今しかないと、思うのに。
「今じいさんに死なれたら、葬式もなんもしぃきらんばい」
まるで他人事のような父の発言に、軽蔑さえ感じる。

だけど、そんなの、じいちゃんが辛くなるだけだから。
私はただじっと、24時間中の1時間余りを、じいちゃんと共有する。
意思を具現化できる四肢が、もう右手だけの、83歳のじいちゃん。

「ダヤン、今日もありがとうねぇ」
毎晩、姉さんからメールが来る。
昼間の休憩時間のじいちゃんタイムを振り返って、「今日はこんな感じだったよ~」と返信する。



私の中の憤りが、暴発しないために。
今、自分にできることを、自分が、する。



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あ…。

先週末、列車の中でふと。

あ…

って、思いました。
方向性が変わるとき、気づけば私、意図せずここに来てるなぁ…って。

だからどう?ってこともないのですけど。
ぼんやり、流れるままに流れてもいいかな…とかも、考えました。


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この頃、なんかちょっとお疲れモードで、そのくせ何気に落ち着いてるというか…歳、とってるのねw
とも思うわけで。

もう、そろそろいいかな?
って、なんか口癖みたいになってきてる。
些細なことの積み重ねで、現実の時間は紡がれていると思っていて。
私が言いたいのは「あの時ぁあ言った」「誰がこうした」とかいうことじゃなくて、責任の所在確認とかじゃなくて、これから。

結局、その場その都度の上辺を縫って、けれど、内容なんてホントはないから、縫ったはずのものはすぐにはがれて、そういうことを繰り返して、事態は悪化。
そんな流れにもう、うんざり。
こういう流れにも付き合わなきゃならないのかな?って、でも、それって、なんか違う気がする。

なんかもう、いいやって、怖いんですけど?って、こっちまで閉じてく一方だってことには、攻めることはしても、気づくことはしない。

もともと、性質が違いすぎたのだろうって、今更ながらに痛感しちゃうから、解放してくださいって、お願いしたくなる。

けれど、これも私自身にとっては「逃げ」なのかな?って、ためらう気持ち。
ともかく、今は一拍。

何もしないでいることも、なかなか不安でしんどいもんです。
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回想。

昨日、土砂降りの雨で始まった朝。
町内のイベントがあり、私も婦人会でバザーの方に参加。
我が家の三兄弟も、前年に比べればもうホント、自分で行動できるようになったなぁ…と。
付かず離れずで会場内、トラブルもなくすごしてくれました。

イベント開始時刻を、雨天のために30分ほど伸ばして、いざスタートしてみれば、いつしか快晴。

ひたすらおにぎりを握って、パックに詰めて…を繰り返し、一段落着いた時、二男が生まれ、三男妊娠した頃から数年、お世話になった保健師さんと久し振りの再会をしました。
「さっき子どもさん達と会ったよ」
と、彼女の方からお声をかけて下さり
「大きくなったでしょう?」
「三人ともイイ顔してた」
で、始まった会話。

当時、家庭と育児と仕事と。
相当イッパイ一杯でした。
子どもたちに必要なことが解ってはいても、そうできない事由があって。
自分でやってくしかないと、完全に人に頼るということが自分の中から除外されてました。

人に対して、一番頑なに心を閉ざそうと努めてたのがその頃でした。

そんな私に執拗に「抱え込まないで」と、声をかけ続けてくれたのが彼女でした。

三男が生まれ、生後三カ月になろうという時、アレルギー皮膚炎が始まり、その頃一番かまってなきゃいけなかった二男には寂しい想いも、哀しい想いもさせてしまいました。
長男だって、今にして思い返せば、ずいぶん不安そうな顔ばかりさせてました。

イッパイ一杯。
けど、クリアできる道はあるはず。
そうこうしてる間に、私が壊れ始めちゃった。
三男と私の週の半分は病院という生活になった頃、彼女は「見てられないのよ」と、半日近くも迷いまよいの私の要を成さない話を引き出して受けとめようとしてくれました。

その夜、生まれて初めて、本当に一睡もできなかった。

その後。
長男も小学校へ入学。
二男、三男も保育所へ通うようになり始めた頃。
二男に言語の遅れが強いことに気付いた。

彼女の勧めで、「言葉の教室」に行ってみたら「障害」という範囲ではない…って、自分で見切っちゃったんですがwww

同時に、いかにこの子に目を向けてなかったかを思い知って。






そんな頃から4年余り。
「心から信頼できる人はいる?」
と、昨日の彼女のquestion.
私の中に浮かんだ親愛なる人始め心友、仲間たち…
「おかげさまです」
「よかった。だったらもう、大丈夫ね!!」



なんだかやっと。
「母親」の仲間入りが出来たような、何かに赦されたような心地で。
また一つ、靄が晴れた気がしました。
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いいの。

♪誰よりもきっと 愛しているけど 選んだこの道を 歩いてくから~♪

なんだか今日は安室さんが脳内で歌ってます。
と、いうことで。
メロディーコールも「love story」に変えまして。
切ない系の、秋!ですねぇ(笑)


笑い事じゃなく。
ダンダン閉じてく訳が分かってきたような気もしてたりして。
要するに、面倒臭いヤツな私なのでしょう。
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そんな(どんな?)時節柄もあってか。
子ども絡みの事件…特集なの?って、訊きたくなるくらい多いです。
相変わらずネグレストを筆頭に、虐待も減っていかない。
事件になって「だって自分、愛されたことないもん」みたいなことばっか言ってる。

何もかもが哀しく感じてしまう。

受けたことがないから与えられないというのなら、どうして所有化するの?
便利な世の中になったからって、どうして事件の背景に「物」を持ってくるの?
「物」に意志はないだろうに。
結局、使ってる人の在り方一つだろうに。


先日、ブロ友さんの記事で「痛みを伴って愛」といった発想にいたりました。

自分的に要があって、ある二つの事件を見直してました。

「だって自分、愛されたことないもん」に基づくなら、辿ってたどって…大元はどこなの???って話になります。
ACのCМで「まず 抱きしめてください」って放送されてたの、思い出します。
私的には誰でもに抱きしめられるのは勘弁願うところですけどww

知らない世界の話ではなくて。
身近にも、10歳すぎの子どもに視られるチック症状とか、いつも親の顔色伺ってる子どもとか…
増えてく靄と、冷めてく耳、目。
自分はどう歩くの?ってquestion.

過分な言葉はいらない。
大事なことが聴きとれなくなるから。

過剰な芝居はいらない。
真意を見失うから。

私、弱いから。
情に絆されて、また、間違えるでしょう?
だから、いいの。
今の私でいいの。
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