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しんどい。

汲々としてる……。

いっぱいありすぎて、いいことばかりな訳じゃないから、そんなことは大丈夫。
なんかそんな風に。
けど。

自分事じゃない分にまで心傾ける余裕なんてないはずなのに、いつものクセというか、甘さなんだろう。

嬉しいこと、有難いと、感動さえ覚えること。
哀しいこと、切ないこと。
感情移入してしまうこと。

破裂、しそうに。


泣きたくなくて。
誰の前ででも、泣きたくなんて、なくて。
涙堪えるのさえ、いつしか癖になってたようで。
滲む範囲に抑えて、まだ泣けない。
これは私が泣いていいシーンじゃないなんて、考えて堪えたり。
今じゃない、まだ、ここじゃない。
次をちゃんと考えてないと、まだ。

気は緩められない。

そんなヒトリ問答繰り返してたら、本当に自分の気持ちの何がなんなのかさえ、もう、分からなくなり始めて。
汲々。
本気で呼吸がし辛くなって、どうしていいかなんて、一人で思いつくことなんてそんなの、たかが知れてて。

会社に営業で月一入ってくる人に「ダヤンさんは自分からバカみたいに人を信用しないでしょう?」と言われた言葉が胸に帰ってえぐられる。

その間にもサバサバしすぎてきてること、柔らかさも余裕も、なにもなく、ただ坦々としてること、笑ってさえも、心頑なになってること、自分で判るほど。

イライラもしてくる。
「一人で背負いこまんでさ、手伝うよ」
そう言うくせに、ねぇ、気づいてる?
そういいながら、どんどん増えてく作業を「お願い」「ダヤンが上手やもん、ダヤンが早いもん」って、土壇場で私に振って逃げてるの、だぁれ?
って、思いながら、ぁあ、出た出たこのパターンとかも思う。
ギスギスしてくる。

苦しい。

心の中に、吐けない毒が巻くような、どよどよして、ぐるぐるして、その奥の方で悲鳴を挙げてる。
胸が早打ちを始めて、呼吸が苦しくなって、胸一杯で、気持ちを消化しないまま忙しく過ぎることの恐ろしさにゾッとしながら。

やっと整理つけて、少しホッとして、帰路をいつもの海沿いコースで。
進み始めてすぐに。
向かい合うアナタの車、アナタの姿に環が切れた感じ。

過ぎた後から勝手に、自然に、涙が零れてこぼれて、どうしようとも思ったけれど、所詮、対向車から見える姿は一瞬のもの。もう、今は構わない。
流れるままに流させてあげても、それは、多分、悪いことじゃない。

そんな気がして、流れるままに任せたら、少しばかり、アナタがなんだか憎らしい存在にも思えるくらい、よく流れました。
通勤時間20分程の道のりを、ほとんどずっと、ただただ静かに、何がどうとか考えることもなくホントによく零れました。

一番、胸に整理しきれず持て余していた件に対しての、自分の気持ちが見つかりました。
ぁあ、私、ホントは哀しかったんだ……って。

整理のつけようのなかった件への迷いが落ちました。


しんどいです。
素直に、もう、ちょっと、今は、はい。
しんどいです。
けど、また甘えすぎるのが怖いから。
スマホ画面、アナタの名前、指でなぞって閉じました。


大丈夫。
きっと、大丈夫。
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impression.

昨日、長男坊の中学校卒業式でした。
そして今日、高校受験の合格発表と、私の38の誕生日。
明日は、早々に入学説明会です。

本当に、時間が足りないくらい。
整理しきれないくらい沢山の人との沢山の出来事や、贈りもの。

去年、叔母に初孫が生まれた時「ダヤンは心を籠めるのが上手。ダヤンは人の心を包むのが上手よ。それはダヤンの才能よ~」なんて、私のしたささやかなお祝いにそう言ってくれたけど。

長男坊が中学生活3年間、絶対的に私の知らない、私に感じさせまいとしたものもあったはずで。
私がそうなように、この子もまた、親だけで育ってるはずなんてないから。
まして、この子自身が持って備えたものもあるはずだから。

卒業の節目にこの子のしたい感謝のカタチ、この子がするべき感謝のカタチを一緒に考えながら支度をしてきたはずだったけど。
カタチにできない人への節目の感謝ってなんだろうね…とか。
考える時もくるのかな…なんて思って。
小学卒業の時にそうしたように、今度も。
この子のいない時間を縫って、この子へ宛てての手紙を書きました。

明日の説明会が終わるまで、一区切りの節をそこに設定している私には、自身の誕生日の予定なんてホントに眼中になかったのだけれど、それでも食べても冷蔵庫に納まりきれなくて冷凍庫にまでいれるしかないほどのケーキとか、私には勿体ないよっていいたくなるようなプレゼントを「長男君で忙しいやろうけん、もうごめん、渡すだけ!じゃあね!!」と…。

ありがとうを伝えるのが精一杯で、なんか杜撰で、ちょっとここで自分の誕生日分は整理しておこうと思った今日でした。

そう。
そのありがとうの電話を一つ、弟たちの店の駐車場でシートに座ってしてた時。
アナタは車道を過ぎていきましたね。
なんかちょっと、はい。
妄想入りそうでしたよ(笑)

どんな?は、内緒。



私の誕生日に毎年花束をくれる後輩ちゃん。
彼女が今年選んでくれたのはこのチューリップ。
「TOUHOKU」という品種です。
オランダから被災地東北へ友情を籠めて寄贈された品種です。
オランダカラーのオレンジをもつ蕾が、開くにつれて日本カラーのさくら色に変わっていく。
東北地域の復興を願って毎年贈られるようになった品種の。

本当は誕生花を花束にしたかったんだって。
けど、ねぇ(笑)
私の誕生花はアスパラですから。
他にもあるけど、樹木花ばかりで、どうにも困難ですごく考えた結果、花言葉の誠実な愛と照れ屋の二面性をもつこの花、そしてなによりこの花のいわれに強く惹かれて決めてくれたそうです。

その想いをこめようとしてくれる時間とか、決めるまでの経緯とか、「ダヤンさんに似てきたろ?」と嬉しそうに言ってくれる彼女に、似てきたというよりも、全然私なんかよりうんと想い籠めの上級者じゃないかと本気で思いますけど。

そんな彼女の長女と、アナタの長女。
明日は小学校の卒業式ですね。

小学校、入学して6年通えば卒業。
それは当然のこと。
中学校、3年間通えば卒業。
それも至極当然のこと。

でも、そうかな?って思う。
その当然を当然に過ぎることの叶わなかった存在もあるわけで。
だから、感動すること、感謝することこそ、当然のことなんだって、屁理屈屋の私は思う。

だから、当たり前の日々を、当たり前に喜怒哀楽重ねて育って、その都度生み出される感動を子どもに関わる者として味合わせてくれる子どもたちに、おめでとうとありがとう。

よし!
明日も頑張るね。

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きらり。

すれ違いという言葉は、なんか良くはなくて。
けど、道すがらのその事実は文字通りすれ違い。
あ、けど、やっぱ、なんかその言葉は使いたくないな。

向い合わせの道すがら、アナタの後ろには傾きかけた太陽が輝いていて。
眩しすぎて。
その瞬間の光景が、なんだかすごく、私の中に刻まれました。


このところ、半べそ状態がずっと、続いてます。
ネガティブ涙じゃないから、別にそのまんま溢してしまっても悪いことはないのに。
良くも悪くも、溢さずに済む涙なら、誰の前でも溢さずにいようなんてね、なんかね。

頑なになってるんだろうか?って、自分に思ってもいます。



長男坊の入試が終わった昨日、今月専門学校を卒業した息子くんの高校時代の制服を「着てくれる?」と、旧親戚・現友人にいただきました。
その制服を抱きしめた帰り道、胸一杯でちょっとだけ一人で泣いて。
帰りついて長男坊に「受かったらやけど。」と、「つぅさんの着てた制服、譲ってもらったよ。」と渡すと、「え!?」と。
彼も嬉しそうに、受け取ったその制服を見つめました。
「ちょっと、試しに着てみたら?」そんな言葉に無言で頷き。

ニコニコしながら、もう本当に嬉しそうに袖を通した彼は、「すっごい余裕あるよ」と笑って腕を広げて、一つ一つのボタンを指で確かめるように撫でてしばし無言。

顔を上げたと思ったら、「ありがとう」穏やかな笑顔でそう言ってくれました。


そんなことさえ、嬉しくて泣けてしまう。
バカかもしれない…とかも思いながら。
一人で移動中の車の中でも、時間に追われるような毎日の中で上手く整理しきれてない瞬間しゅんかんを断片で想い返して、それで半べそになったり、ニッコリ顔になったり…。

それで、そういう時に誰よりもアナタに見て欲しいとか、聴いて欲しいとか思ってみたり、けど、そんなことよりなにより、言葉にしなくてもかまわないから、ただ、今、アナタにあいたいって思って。

なんか、そういう瞬間の一つのタイミングで後ろに太陽背負ったみたいに眩しすぎる逆光のなかで、瞬間の視覚って、ねぇ。

自分の心の中だけでクルクル廻ってるだけなのに、なんかそういう瞬間が、私にすればいかにもアナタらしいような瞬間で。
覚えてますか?
私の33の誕生日、小学校の卒業式。
卒業生の保護者でもないのに。
そこに立ち会わせてくれたアナタたち。

あの日の、あの時間の、大好きなあの子たちの、大好きなあの子たちの大切な親さん達の、見せてくれた感じさせてくれた春の芽吹きのような感動を、この三月は特に強く鮮明に蘇ってきます。
こんな気持ちを、いい歳のはずなのに、あれからもう5年になるのに、未だ、的確に表現できる言葉を、私は見つけられずにいます。

それでもただ、この気持ちが溢れる時、何よりも誰よりも、どんな素敵な場所に行くよりも、ただただ、アナタと居たいと強く望む気持ちも溢れそうになります。






不思議なんだけれど。
これを悪いことだとは、私には思えない。

だから、明日も頑張れるよ。
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あのね…。

「卒業」の言葉に、寂しさや喜びや、感動…沢山の気持ちが合わさって、涙ぐむ毎日が続いてます。
受験を明後日に控えた長男坊は「まだなんか不安」と言いながら、苦手な英語の参考書から離れません。
案外コツコツと、ともすれば叩いた石橋さえ渡らないような長男だから、こと受験に関しては心配なんてしてなくて。
気持ちの中では、彼の中学卒業の方が大きい私にとって、今更勉強なんて根詰めないで欲しかったりするのが本音だったりします。

                                                           20150303215252839.jpg

週末、久し振りにあるご婦人に招かれて、少しの間おしゃべりをしました。
「あんたは私と一緒って思ってるけん、大したことはしてやれんけど、社長と一緒に応援しよるけんね。長男君の入学は見せに来てね!」
そう言われて、また奥さんの昔話に、また二人で涙ぐんで。
「子どもがおってくれるけん、大変ばってさ、おってくれるけん、張り合いもあるさね。」

このご夫婦が伴に再婚できたのは、かれこれ10数年前。
50代に入る目前のことで。
それまでの長い時間を「責任」のために逃げ出しちゃいけないと。

再婚のきっかけは、奥さんのご子息の一言。
「もう、一緒にくらしていいんじゃない?」

昔話のこのくだりで、いつも胸がつまります。

成せぬ仲を肯定しちゃいけないとは、解かってる。
それでも、織り成したものが本物だから、だからこうして今があるんだろうと、私はいつも奥さんにいいます。
お二人が再婚されて、実際の業績は上がるどころか、事業拡大。
奥さんのご子息お二人も、今では社長の右腕、左腕。

世間から良いようには言われない面も、本当にはそうじゃないことの方が多い。
けれど、その誤解を解くよりも、信頼をカタチにしようと補う奥さんが、私は好きです。

個人的な私のことは大してお話していないのに、いつも二人になると社長との馴れ初めを、子どもたちとのこれまでを話してくれるこの人に、微力でも寄り添っていたい気持ちになります。
奥さんが過ぎたご自分と私をダブらせるのなら、私はもしかして、先の自分にダブらせたいのだろうなと、アナタにあいたい衝動と葛藤中の自分に思いました。

aikyou.png

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泪雨。

弥生の月、始まりの日にはしとやかな雨。
祖父と父の法要、お墓参りの時にはタイミングよく雨も止み、寒いながらも集まってくれたみんなに不具合が多くなく運んで良かったと、一安心でした。



満開の寒桜を見つけたのは、毎年見てきた枝ではなくて。
道沿いの手入れのされていない空家の庭でした。
なんにも変ってなんかないつもりの自分、それでも気づけないことが増えてたんだということに気付く瞬間に、なんかちょっと、しょげてしまう。

三月に入って、高校の卒業を皮切りに専門学校、中学校、小学校に大学に…。
あの子、この子の進路を耳にする。
親元を離れて進学する子、そうして進学した後に、就職が決まって卒業する子。
親子の数だけ、いろんな形の進路。

なんとも表現しにくい何かがこみ上げて、聴く話の一つひとつに、一々、泣きそうになる。
度に「もう、自分の子じゃないとに~」とか言われながら、一緒にウルウルしてたり。

やっぱり、一緒に頑張る親子って、いいなって、温かいなって。
そういう親子関係に関わると、もう、本当に泣きそうになるとかじゃすまなくて。
実はひっそり一人で泣いてたり…。

我が家の長男坊は、まだあと三年は地元にいるから。
そんなにまでこみ上げるものはないのだけれど。
それでも。
私の知らない時間中の葛藤も沢山あっただろう、辛い思いもしただろうと思う。
三年間しかない中学生活を、一年で転校させてしまって、尚更に。
そうじゃない子では感じることのなかったものも、沢山に感じてきただろう。

「子どもから、悪いものを全て取り去ってしまってはいけないよ。
 悪いモノから学ぶことも大切だから。
 行く先に、何一つ難のない道なんてつまらないよ。
 転んで、躓いて、芽生えるものもあるのだから。

 大切なのは、現在のその子から目を背けないこと。
 大切なのは、転んだ時、躓いた時ちゃんと「次は大丈夫」って、支えてあげることかもしれないね。」

心配するのは悪いことじゃない。
けれど、大丈夫と信じてあげることは何よりも大切だと思うんだ。

手を抜くとかじゃ、なくて。

そして、親という自分自身も等身大であること。


                                                


プリムラの花言葉はね、永続きする愛情っていうんだって。
運命を開くとも、いうんだって。

だから、今月の壁紙はプリムラ ジュリアンです。
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