Posted by ダヤン

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親愛なる人へ。

重なってから7年。
惹かれてから、もう10年が過ぎて。
沢山の気持ちが生まれたり育ったり、消えるものもあるよ。

アナタの目を真っ直ぐ見るのが好きで。
アナタの背中を見つめるのが好きで。
アナタの存在が私の真ん中にあることが、私の最強の支えで。

アナタが私の中にいてくれなければ、私はこんな風に呼吸することなんて、もうきっと完全に、出来なくなっていたと思うよ。

雨上がり、疲れ顔のアナタの時間を、しばしの間独占して。
その間中、何もかもが大丈夫な心地になる。
余計な言葉なんて、必要ない心地になる。
考えすぎる癖のある私が、考えなくていいって心地になる。

「恋」なんて、儚く脆いようなものとはもう、違うものになってしまっていて。

こればかりは私だけのせいじゃ、ないよ。
うん。
そう。
絶対そう。

だから、私は私の分を大切に紡いで繋ぐよ。

その先に何があるかなんて、全く判らない。
けれど、10年前も全く判らなかったのに、こう想える私がいる。
そんな私の、信じたいように信じていいと言ってくれたアナタがいる。

それが私の、心の幸せ。

アナタの心にも、幸せがありますように☆彡。
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想い。

                                               

2・3カ月の間に、凝縮された沢山のことがおこり続けると、対応するために要点だけを拾うのが精一杯になる。
そんな自分に気付いたことは、悪いことじゃない。
それでも、そんな要点さえも、若干取りこぼし気味で…。
本気でまだまだだと、自分に腹が立つこともしばしば…。

仕方ない…頑張ろう、私(笑)

無駄に凹まなくなってきただけは、自分に認めてあげようと思ったこの頃です。

4月、長男坊が高校生になって、次男坊が六年生になって、三男坊は五年生。
あくせくしてるのは自分だけじゃなくて、当人たちはもっと沢山の新しいことにあくせく必死で、それでも頑張ってる兄弟の姿にホッコリしながら、ありがたい気持ちにもなりながら、じゃあ私はどうあるべきだろう?とかをその都度にやってると、自ずと、兄妹がいう「お母さんは違う」のニュアンスが解かってきた。

高校入学のクラス編成で、特進クラスを断固として拒ませた私は、本当には長男坊の出鼻をくじかせたんじゃないかと後悔しかけていたけど、五月中旬に廻らなさと疲れでイライラを募らせていた長男坊の姿と中間考査の結果を照らした時、「頑張り過ぎる」と彼に予想したことが間違いではなかったと少しホッとして。

勇んで特進クラスを希望した友人が既に諦めモードに入ってしまったと話す彼自身に「言うこと聞いといて良かった」と言ってもらえたとき、心底ホッとしました。

担任が最悪だと、クラスみんなでボヤキ嘆いている次男坊たちは早々に、修学旅行を発端に親子vs担任みたいな空気感になってしまって、私自身も、次男坊の心の砕けた様を目の当たりにした時、担任の言葉や態度に憎さにも似た嫌悪を抱いてしまったのは事実で。
そこを信頼おける校長先生にすっぽり包まれ治したことで落ち着いた次男坊にホッとして、嫌悪を抑えるには至ったのだけれど。
決して油断はしちゃいけないって、拭えない不信感を抱いたまま。

つくづく、子どもを「悪者」に仕立てるのは大人なんだと噛みしめたような心地です。

けれど、そんな大人も。
子どもだったころに何かしらの大人からの影響を受けてるはずで。
誰のことも「悪者」に仕立てる必要なんてない。
もっと上手く表現できる私でありたい。
もっと上手く、理解できる私で、ありたい。
それが「大人」の姿だと思う最近。

躓きたくはないけれど、躓くことそのものは、多分、悪いことじゃない。
自分の心にある「大切」を、自分自身が「大切」にできなきゃ、価値が無い。



そんな風に、過しているよ。




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星に願いを。

「きっと、今頃アナタも。」
呼吸が辛くなるとそんな風に思って、独りじゃないなんて、そう、思って、いるよ。

あれから形成立て直したような私だったのに、それじゃ足りないのか、そもそも間違ってるのか、次から次に。
本当に、神様は私に何を目指すべきと言ってるんだろう?って、天を仰ぐ心地にもなる。
面倒くさいのは嫌いで。
効率悪いのも嫌いで。
同じこと繰り返すのも、好きじゃなくて。
何かに拘束されるのもうんざりで。

私は私。

敵とか味方とか、何かと対立するのも、好きじゃない。

日常の中に起った非日常的出来事の後、二十年来の友人の放った言葉。
「みんなに愛されて辛いやろう?」
哀しみの亀裂は広がるだけで。
皮肉めいた彼女の言葉に、尽く哀しみは深まって。

「ダヤンちゃんは、哀しかったんじゃないの?」
と、つい最近親しくなった一回り上の彼女の言葉に救われたような心地になったのは、私の事実。

敵対することなど望まない私の中には「負けるが勝ち」なんて文字があるから。
一点の対抗心が大切なモノに亀裂を入れるのなら、それが私ごときの存在に架かっているとするなら、いっそ…。
そう思って、誰にも告げずに足を運んだ先「私は闘って欲しいと思ってる」と、責任者に言われては、用意した言葉も呑み込むしかない。
こんな風、辛いのは当然なんだろう。
だって、やっぱり、誰にもこの一連の私の真意を告げる気にはなれないんだから。

だったら、カラッとサラッと笑っていようよって、思う。

だから、お願い。
アナタといたいって、ちょっとだけ、許して欲しい。


そう綴って、まるでテレサテンの歌じゃないかと…気づいた自分にさえ、なんかちょっと、冷やかになる。
そうしたら、妙に恥ずかしくもなって、自分で笑ってしまう。
こんなだから、なんか多分、私、大丈夫なんだろうw

正直、闘うなんてことから逃げてるから、それでこんなことにもなるのかもしれないって、そんな思いもあるよ。
それでも、これが意義のある闘いなのかは、大きなとこで。
そう考えた時、私にとって守りたいもののためであることには違いないって。
それだから、ちょっとだけ、引かないことをブレずにやってみる。

「負けるが勝ち」なんて言いながらも、やってみる。
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