Posted by ダヤン

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つづくのつづき

私の友人や、その家族。
顔見知りでよくお声をかけて下さる方。

周りには、俗に言う障害をもった家庭や個人が少なくないです。

重度の身体障害。
いつ破裂するかしれない病気。
普通といわれる能力が足りない。
ある事件以来、心に隔たりが生じてしまった。

様々です。
年齢も、2歳から80歳。
幅広いです。

けど。
私の気付かないこと、イッパイ気づいてたり、感じてたり。
健常者に入る私なんぞ、足元にも及ばないこと、沢山。
私がヘタレになると、何故か解かるらしくて、励ましてくれたりもします。


昔、ある地元の院内新聞に掲載したいと、原稿依頼を受けたことがあります。
その病院が訪問看護を始めた頃のことでした。
きっかけは、記憶障害に関する講習会へ出席したことからでした。
そもそも、その講習会へ参加したのも、自分に理解力というものが欲しかっただけのこと。
ついでに、参加無料だったから。

実名を記載しない約束で上げた原稿。
当時19歳だった私の一文。

「体に不自由することが障害なら、その障害を視覚だけで判断して偏見を掲げる人は、心に不自由な障害者と言えるのではないでしょうか」
要するに、みんな障害だらけなんだから、持ちよった個々の能力を出し合って思いやりを紡いで、支えあえるケアにしていけたら、介護の在り方も変わっていけるのではないかという内容でした。

15年たった今でも、根本的にはそう、思ってます。

今回のあるお母さんの告白を機に、再度あれこれ考えることもありました。
でも、要は日常なんですよね。
まだ上手く人へお伝えするほどには、私の考えはまとまりを持ちません。

ただ、ひとつ。
目に採れる障害や病気といった個性は、本来の健常な状態では気づくことの困難な幸せや価値観、心の在り方をそれぞれの形で、心に位置付けてくれて、なんというか、幸福感を倍増させてくれるスパイスのように思いました。

そのお母さんのお願いを、お母さんが望んでくれたように、私も長男へ、私なりの言葉で話し伝えました。
最終的に長男が言ってくれたのは

「でもさ、МちゃんはМちゃんなんやけん。なんも変わらんよ。」

そうね。
あんたはいつも、Мちゃんのことも、見守ってたもんね。
Мちゃんが女の子同士で意地悪された時も「こういう時って、どうすればいいやろ?」って、一緒に考えたりもしたね。


こんな風です。
長男には、長男にしかない思想がある。
観点が在る。
それが呼吸とするなら、「なんも変わらんよ」と言ってくれた彼の呼吸はいつか、誰かしらの呼吸を生きやすくしてくれるんじゃないかと、嬉しく感じました。

12歳の彼の呼吸に、私自身も穏やかな呼吸で対話できた今回の霹靂でした。

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Comment

よよい says... ""
こんちは^^よよいっす。

今回の記事スゴイまじめによんじゃった!
ホント、読みながら思ったんだけど、改めて
人それぞれだな、と。

人とのかかわりの中で、客観的にみて補うべき
ものを持った人がいたとしたら補う余裕のある人が
補ってあげればいいのかな!?と感じました。

そういう余裕の持てない人は自分磨き!
って全く出来てない俺が言ってもなぁ。。

2011.10.10 17:00 | URL | #- [edit]
ダヤン says... "Re: よよ兄さん"
今日もお疲れさまっ!

んんん~…
私だって、全く出来てない。
誰かの要望に応えるっていうのを究極にすれば、底なし沼みたいだしw

ただ、なんだろ?
関わるなかで、デメリットばかりに見えても、時の経過の中で、過ぎてみれば自分に身に付いた何かしらが、振り返ってみれば、ぁあ、あの頃のあの人との関わりのおかげかな…と。
結果、自分にとってのメリットだったw
みたいなことにもなるかもしれない。
とも、思うよ。

難しいよね。
深く考えずに、自然に、隔たりを払える優しさが持てたら、人として最善なのかもしれないですね。

うん。
人それぞれですもんね(笑)

コメント、ありがとう☆彡
2011.10.10 21:35 | URL | #- [edit]

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